黒石郷の地名はとある古書から、興国四年(1343年)より以前から使用されていたことがわかっています。
今もってはっきりしませんが、蝦夷の住む土地を久慈須(くじし・くじす)、国栖(くにす)と称したことから、国栖が“くるし”へ、そこから“くろいし”と変化したのではないかと言われています。
黒石の発展のため、天明年間(1782~1788年)に家老を勤めた境形右衛門が、春は馬乗り、夏はねぷたや盆踊りを奨励して、近郷の弘前領から人を集める方法を講じた事などが現代のまつりにつながっていると言われています。